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ホタテバーガー☆ミ

ホタテバーガー☆ミ

慶応4年(1868)明治元年

慶応4年(1868)34歳仙台出港~

旧暦新暦天気出来事
10.1011.23 晴盛岡藩降伏
十時、小船を雇い総軍整列して喇叭を吹き乗船。新選組は大江艦に乗船(艦長小笠原賢三)伝習士官隊、歩兵、工兵隊、付属仕官隊、約300人。大いに混雑する。
10.1111.24  艦中に泊る
10.1211.25 晴十二時、回天先鋒、開陽丸殿として折の浜を出帆、蝦夷に向け北上す。
夜、疾駆中金華山の沖で波間に一島顕れ乗り上げそうになるも回避。
      一連隊…松岡四郎次郎
新選組…115名
彰義隊…池田大隈守           桑名藩主松平定敬
伝習士官隊…滝川充太郎        備中松山藩主板倉勝静
伝習歩兵隊…本多幸七郎        唐津藩主小笠原長行
砲兵隊…関広右衛門
遊撃隊…人見勝太郎
陸軍隊…春日左衛門
衝鋒隊…古屋作左衛門
仙台額兵隊…星恂太郎
神木隊、会津遊撃隊、工兵隊、小彰義隊、
海軍、元フランス軍人など       3000余人
10.1311.26 晴十時、南部宮古湾の鍬ケ崎に投錨。入港の祝砲を放つ。
滞在中軍律を定める。
フランス人軍事団合流。回天仙台の千種丸を分捕り遅れて入港。
この頃2日間上陸して湯治?
10.1711.30 晴正午、鰍ヶ崎を出港
10.1812.1   宮古を発す10.19「南柯紀行」10.20「蝦夷錦」
10.1912.2 晴夜風波夜、川汲沖辺りで風波起こり大江、岩上に乗り上げる。海軍がんばる。
回天、鷲ノ木浜に到着。榎本曰く「この地より箱館へ近しと言えども、直ちにかの港に入らば防御の備えあらん。同港より十余里東北にあたり鷲ノ木という港あり。総軍、この所に上陸し陸道を経て箱館に至らん」
10.2012.3 豪雪上陸開始。11時大江丸来着。波浪のため犠牲者多数。
大鳥「甲板上に出て四方を望むに、積雪山を埋め、人家も玲瓏として、実に銀世界なり」
箱館総督府清水公考は「榎本軍、鷲ノ木沖に終結」情報を入手。鷲ノ木から箱館に至る街道に兵を派遣。
10.2112.4  雪午前、開陽丸(19日午後説有)、鳳凰、午後、大江、鷲ノ木浜に到着。
土方上陸。酷寒の中16人犠牲が出る(霊鷲院)
遊撃隊隊長、人見勝太郎、大川正太郎、滝川充太郎、(本多幸七郎、小芝長之助、加藤昇太郎?)ほか30名程が箱館府知事への嘆願書を提出するため五稜郭へ出発
10.2212.5 晴大雪土方上陸(?)
夜半、人見ら嘆願使節は峠下村着「風雪面をうち冷気胃に刺す」「おおいに疲労」していた為民家で仮眠中左右の山の上から攻撃され戦闘。敵は大野村、七重村方面に敗走。人見らは富士山村まで進撃後、峠村へ引き上げ一休みしてから、敵の死傷者を処置した。
新選組は大鳥軍に属し(隊長は安富才助)、鷲ノ木から箱館に向かう。鷲の木―森―峠下ー七重(七飯)-大野―五稜郭
土方は額兵隊(星)、陸軍隊(春日)、衝鉾隊(古屋)を率いて鷲ノ木から川汲を経て箱館へ向かう。星恂太郎曰「天色朦々、寒風肌を裂くがごとし。寒威を犯して進軍す…北風ますます激しく、雨雪混じり降りて、将より卒に至るまで、身に纏うに単衣の戊服を纏うのみにて、足に袋なく、頭に華笠なく、満身濡れざる所なく、四肢亀手してほとんど凍餒(凍えて飢える)せんとす。」
(3分で熱湯が凍るらしい)鷲の木―森―砂原―川汲峠―湯ノ川―五稜郭。土方は島田ら守衛新選組の者が護衛。
榎本各国公使に使節を送る。(小芝長之介、加藤昇太郎)鷲ノ木本営は彰義隊、衝鋒隊、一聯隊。
土方、砂原泊
10.2312.6 吹雪海軍全軍結集(回天23日、長鯨25日説有)
土方、鹿部泊。大鳥軍、森を発し峠下村で宿陣。先鋒隊午前二時ごろ箱館府軍と激突。
10.2412.7 吹雪土方軍、川汲にて小戦し、松前軍蹴散らす。川汲泊
大鳥軍を二分、大野村へは大鳥率いる伝習士官隊と歩兵隊、七重村へは人見勝太郎が新選組、遊撃隊、砲兵隊を率いて進撃
大鳥軍、市渡で松前兵と白兵戦になるも撃破
10.2512.8  晴人見隊は大川村にて戦闘、これを敗走させるも三好胖ら多数戦死。
土方、道中で小規模の戦闘の後上湯ノ川泊
七重村の新選組らは大野村で休息。その後大鳥は大野村から一里ほど西の文月村の陣屋(松前藩・戸切地陣屋)に小隊を送ったが陣屋を護っていた兵が陣屋を自焼して逃走したので戦に至らず。五稜郭へ向かう。 赤川村泊
大鳥、土方へ密使を送り様子を聞く。湯の川到着を知る。新政府軍が五稜郭を捨てて逃走。千代ヶ岡陣屋の津軽兵陣屋に火を放って退却。清水谷卿と合流。箱館沖に海軍上陸。回天、秋田の高尾丸拿捕。(艦将田島のちの永山友右エ門)後、青森へ送る。 江戸から自藩に戻る途中の松前藩士渋谷十郎らが箱館に到着
10.2612.9  晴榎本軍、五稜郭を無血占領する。運上所、台場に日章旗を掲げ、市民には米銭を散じた。
陸軍隊に属し小隊を率いていた野村利三郎は陸軍隊隊長春日左衛門と揉める。抜刀騒ぎとなり土方に止められる。
土方軍も夕刻に入城するも、新選組、遊撃隊、工兵隊、七飯より大野鎮撫に廻る。
渋谷ら箱館占領を知ると運上所に出頭、責任者との面会を求める。松平太郎の到着を待つように言われ亀田屋藤兵衛方に宿泊
10.2712.10小雪亀田屋を乗馬の土方訪れ松前藩に戻りたい旨伝える。
榎本軍、松前攻撃の総督として土方歳三を任命する(28日?)本隊は額兵隊、陸軍隊、砲兵隊、工兵隊、守衛新選組、後軍として衝鉾隊、カズヌーヴ、ブッフィエ。
10.2812.11 晴渋谷ら五稜郭に出頭し松平、土方と面談。松前行きの許可を与える。
土方軍、有川に宿営。渋谷がこれを訪ねる。11.10を期限に進軍停止を求める。
松前藩福島本陣を攻撃すべく土方隊出発。彰義隊、額兵隊、陸軍隊、砲兵隊、衝鋒隊。
翌日先鋒軍茂辺地に宿陣。 松前藩主松前徳広、館城に避難
10.2912.12 晴渋谷ら土方の書いた通行許可を報じた手紙を茂辺地の彰義隊渋沢に渡し松前に向かう
新選組箱館市中取締りを命ぜられる。一本木関門を守る。
10.3012.13  茂辺地宿営(?)木古内宿営(?)
大野の新選組、一連隊と代わって五稜郭に入り市中取締りを命ぜられる。称名寺を本陣とする。
隊士たちは赤いフランネルの胴着と紫色のビロードのチョッキ。いずれも断髪、詰襟服とズボン姿。
11.1 12.14 晴松前藩、新政府軍に加担する事を決議する。
土方前軍萩砂村に陣を取り中軍の知内村に陣するところ、夜半に至り松前兵の奇襲あるも撃破する。
土方は陸軍隊と共に知内に帯陣。
新選組屯所を称名寺におき箱館市中の巡邏を開始。
フランス・イギリス榎本軍を「事実上の政権」である事を認める。
開陽丸箱館入港
11.2 12.15 晴土方前軍福島に向かって進軍、途中市の渡で戦闘するも額兵隊と彰義隊が敵陣を破り、先鋒一部敵を追い落として福島に至る。
萩去では先鋒の彰義隊・額兵隊が一ノ渡まで進軍。松前兵は福島の手前に胸壁を構えて布陣していたが額兵隊に破られ法界寺を本陣とし撃ちかけたが彰義隊が正面から、額兵隊は左右から一気に攻め込んだ。
敵は民家へ火を放ち松前方面に退く。
「蟠龍」福島港に至り砲撃する。
11.3 12.16土方前軍福島占拠。
「蟠龍」松前港内に入った途端松前藩から攻撃される。思わぬ痛手を被りその日のうちに箱館に帰還。海軍役に立たず
松前徳弘、館城に到着
11.4 12.17 晴土方軍、先鋒彰義隊、本隊陸軍隊、砲兵隊、工兵隊、守衛新選組、後軍額兵隊として松前に向かって進軍し、追撃し、荒谷に至る。福島に達する。吉岡峠を通って。荒谷村に宿陣
英仏軍艦、弁天台場から祝砲
11.5 12.18 晴土方軍、松前城攻略。
午前7時、彰義隊の先鋒により戦闘開始。第2軍は陸軍隊。額兵隊は殿。
午前11時松ヶ崎を突破し松前兵は城に退く。松前城の攻撃、彰義隊決死隊が馬坂門を突破、土方率いる陸軍隊、守衛新選組が城裏側の寺町から奇襲をかけ陥落。搦手門、本丸御門か。
松前兵脱走、土方軍半隊は城下に宿陣、残り半隊は荒谷に宿陣。
「回天」「蟠龍」応援にくるも波が激しく後退する。海軍役に立たず。
先鋒は彰義隊だったが隊長の渋沢成一郎が金蔵に直行したため額兵隊が日章旗を立てる。これにより渋沢は降格、腹心の部下と共に小彰義隊を組織する。
松前兵は撤退の際民家に放火。松前城下は火の海となり大混乱となる。城下の混乱を収拾するため大鳥圭介が仮総督となり市中に裁判所を設ける。捕虜に温情を施す。
11.6 12.19 晴土方軍、石崎の敵を破り江差に至る。「開陽」援軍に来る。松前城下に9日まで帯陣。
回天、蟠龍は奥羽列藩に対する布告書を携え青森に向かい出港
11.7 12.20  この日までに旧幕軍は諸外国との折衝を行い局外中立の言質を引き出す
回天・蟠龍、青森に入港し布告書を提出
11.9 12.22  鷲の木にいた桑名、唐津、備中松山藩主箱館入り。
榎本武揚、永井玄蕃、運上所で英仏船将と応接
11.1012.23 雨館城攻略のため松岡四郎次郎の率いる一聯隊が出陣。二股新道より進み稲倉石ノ関門で戦闘。
松前藩士の久下、湯島と面談、和議を勧める。「我が軍、松前氏に恨みなき事、皆、人の知るところなり。よりて初め、桜井恕三郎らをして、和を結ばさんと欲す。松前人、これを拒み、知内を夜襲し、かつ福島などに兵を出すによりて、やむを得ず攻めてついにこの城を得たり。片時もここを守るを快しとせず。ゆえに我、また、兵を進めて江差に向かわんとす。汝ら、我と共に江差に行き、我の和を勧むるを述べよ。汝が主、果して和を欲せば、我、また兵を引きて箱館に帰り、この城を汝が主に与えん」
遊撃隊に市中の取締りを命じる。
桑名公、唐津公、松山公鷲ノ木より函館に到着
11.1112.24 晴土方軍、松前福山に守衛の兵を置き松前の敗兵を追討せんと彰義隊、額兵隊、衝鉾隊、砲兵、工兵隊、序次を決め松前を出発、小砂子村に至り宿陣。
松前藩兵が大滝の陣で撤退勧告を無視したため戦闘。
11.1212.25  土方軍江良に至る。先鋒は額兵隊、続いて衝鋒隊。殿が彰義隊
松前徳広、館城脱出。
一聯隊、稲倉石ノ関門を破るが松前兵撤退直前に探索中捕らえられた石井梅太郎と農民を斬殺。
千代田形、酒田より箱館に入港
11.1312.26  土方軍額兵隊、原口に至り大滝に布陣していた松前兵と戦闘。敗走させる。
額兵隊敗走中の松前兵の策略で「蛸の酢味噌和え」にあたる。後軍松前を出立する
松岡軍一聯隊、稲倉石の関門で攻撃開始。鶉村まで進軍、泊。
額兵隊星、久下と湯嶋を和睦の使者として大滝へ派遣。
11.1412.27  土方軍額兵隊、大滝峠にて戦闘。石崎まで進軍。松前軍江差に退陣。和議の使者湯嶋縛られて放置されているのを助ける。
一聯隊松前兵の襲撃を受けるも返り討ちにする。
舘村周辺を探索していた2小隊、敵と遭遇。
箱館湾に停泊していた「開陽」「回天」「神速」松前に立ち寄った後江差へ向かう。
11.1512.28 雪土方軍塩吹村に進み江差占拠の報を受ける。
松岡四郎次郎の一聯隊によって館城陥落。藩主松前徳広は乙部へ。
土方軍この日のうちに江差に入る。夜、旗艦開陽が座礁。助けようとして神速も座礁。やっぱり役に立たない海軍。
11.1612.29  土方全軍江差に到着。能登屋会所を宿とする
土方軍は汐吹村から衝鉾隊と額兵隊が先鋒として進み、土方は本隊を率いて一日遅れで到着し、後軍となった彰義隊は翌17日到着ともされる。
熊石に逃走した松前兵は二股口から館城を破って江差に進行した一聯隊が追討したらしい
11.1712.30  一聯隊、鶉村を発して熊石へ向かう。
11.1812.31  土方軍江差へ入城、熊石に向かう
松前藩主松前徳広津軽へ。残った藩兵は和議降伏。
11.22 1.4  雪土方軍熊石に入る。一聯隊を江差、遊撃隊を松前の守備に任じる。
座礁した開陽の救助のため神速艦、江差沖に到着するも座礁、沈没
蝦夷地平定完了 
11.28 1.10  伊庭八郎箱館着
12.1 1.13  榎本は諸外国を通じて明治政府へ蝦夷地開拓の許可を求める嘆願書を提出
12.3 1.15  伊庭八郎松前へ
12.5 1.17  新選組、伝習士官隊と交代して五稜郭に詰める。屯所は四箇所。毎日仏式の調練。酒と鹿肉をもらう。
12.7 1.19  明治政府、容保父子の死刑免除の代わりに反逆首謀者の申告を詔書
12.14 1.26  明治政府、榎本の嘆願を拒否する書面を送る
12.15 1.27 晴土方軍、五稜郭凱旋
榎本軍蝦夷平定を祝し弁天岬台場、五稜郭、軍艦、各国艦、101発の祝砲を放ち、各国領事を「回天」に招いて祝宴を催した。仕官以上の投票により榎本新政府の役員を選出する。
総裁榎本武揚             箱館奉行永井玄蕃
副総裁松平太郎           箱館奉行並沢太郎左衛門
海軍奉行荒井郁之助        会計奉行榎本対馬、川村録四郎
陸軍奉行大鳥圭介          松前奉行人見勝太郎
陸軍奉行並・箱館市中       江差奉行松岡四郎次郎
取締海陸軍裁判役頭取     江差奉行並小杉雅之進
      土方歳三
添役に相馬主計、安富才助、大野右仲、大島寅雄
添役介に野村利三郎
新選組、市中取締りを命じられる
箱館新選組
改役:森常吉  陸軍奉行副役:相馬主計
頭取:島田魁、角谷糺
差図役 一分隊:青山次郎
     二分隊:尾関泉
     三分隊:山久地文二郎
     四分隊:石井勇次郎
嚮導役
     一分隊:粕屋小次郎、西脇源六郎
     二分隊:佐久間顕輔、中島登
     三分隊:佐久間銀太郎、阿部隼太
     四分隊:前場喜司馬、横倉甚五郎   隊士数は百名前後
上等士官の月給は金二両。
江差観音堂に於いて大供養。祭式は西洋に倣い読経中士官整列して銃を携えて礼を為す
新選組は箱館取締り。町毎に屯所を設け夜巡邏を厳しくする。
これよりマルラン新選組に調練。六時より十時まで弁天台場にて習う。雨天の時は本営で技芸を習う。
12.18 1.30  魯国商船を雇い庄内飛鳥へ。(先日石ノ巻より千代田・長崎艦庄内援助のため出港するが暴風に遭い庄内飛鳥へ至る。長崎艦は破船、これを助けるため函館から高尾を差し向けるが暴風に遭い故障して帰還していた。)
逢兵隊行方不明だが長崎艦の神木隊、帰函。
12.28 2.9   欧米各国、局外中立を解除。新政府を正式に日本政府として認めた。
12.29 2.10 雪桑名藩元家老酒井孫八郎を訪れて面談。
酒井曰「桑名に帰って謝罪しないと桑家滅亡です」
桑公曰「我為に多くの家臣塗炭の苦しみを為に至りては実に忍、然らば謝罪せん。」大津屋庄右衛門宅?桑公は神明神主沢辺一馬宅。
俳人孤山堂無外による句会中島三郎助、川村録四郎、土方歳三「わが齢 氷る辺土に 年送る」
このころから土方は市中取締りの新選組の近く、箱館丁サに泊まる。冬の間はずっとここか?

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